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「アダモちゃん」の島崎敏郎|「ひょうきん族」「ヒップアップ」での活躍を振り返る

エンタメ

島崎敏郎さんといえば「アッダモステー!」「ペェェ~イ!」と意味不明の叫びと共に予測不能の動きをする「アダモちゃん」のキャラが有名です。

お笑いトリオ「ヒップアップ」でデビュー以来、1980年代のお笑いブームの中で輝かしい活躍をしました。

この記事では、島崎敏郎さんの全盛期の活躍を振り返り、トリオ解散後、晩年の芸能活動についてもお伝えします。

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島崎敏郎とは? お笑いタレントから俳優まで幅広く活躍した人物

島崎敏郎のプロフィールと経歴

島崎敏郎さんは、1955年3月18日に高知県で誕生し、その後京都府で育ちました。

高校時代にはサッカー部のメンバーとして活躍し、京都の選抜チームにも選出されました。

1973年には、クレイジーキャッツの付き人として芸能界に足を踏み入れ、1979年には川上泰生さん、小林すすむさんと共にお笑いトリオ「ヒップアップ」を結成しました。

1980年代には、「オレたちひょうきん族」や「天才たけしの元気が出るテレビ」などのフジテレビのバラエティ番組に出演し、アダモちゃんやフラワーダンシングチームなどのキャラクターで広く知られるようになりました。

1990年代には俳優としても活動、様々なドラマや映画に出演しました。

さらに音楽の分野でも「新橋烏森口バンド」を結成し、音楽活動も展開しました。

2023年12月6日、急性心不全のため68歳で生涯を閉じました。

島崎敏郎の代表作と人気キャラクター

代表的な番組「オレたちひょうきん族」

島崎敏郎さんは「オレたちひょうきん族」という番組のレギュラーでした。

この番組で、ビートたけし、明石家さんま、山田邦子など、当時大ブレイクしていた芸人たちと共に多彩なコーナーを通じて笑いを届けていました。

特に、黒塗りの顔に白いキスマークを付けた「アダモちゃん」というキャラクターが島崎さんにとって象徴的な存在となり、彼の持ちネタとして他の番組や舞台でも展開されました。

このキャラクターは、特定のフレーズを歌いながら踊り、他の出演者やカメラにキスをするというスタイルが特徴でした。

2009年には、アダモちゃんのデビュー25周年を記念して、関連するDVDやCDが発売されました。

「天才たけしの元気が出るテレビ」でも活躍

また、「天才たけしの元気が出るテレビ」の「フラワーダンシングチーム」というコーナーでも人気を集めました。

このコーナーでは、オスマン・サンコン、松村邦洋、南原清隆らと共に、華やかな衣装とメイクで様々な曲に合わせてダンスを披露しました。

このチームは、そのユニークなスタイルとユーモアで注目を集め、CDやビデオがリリースされるほどの人気を博しました。

フラワーダンシングチームは、さまざまな番組やイベントにも登場し、幅広いファン層に愛されました。

ヒップアップの活動と特徴

トリオとしても個人としても勢いのある活躍

ヒップアップのコントは島崎さんが中心となって作っていました。

ヒップアップのネタは時事ネタやパロディ、シュールなギャグなどを織り交ぜたのコントで、多くの人の支持を得ました。

ヒップアップは、テレビでの大ブレイク前からライブや営業などで活動していました。

お笑いブームが到来した1980年代、『 笑ってる場合ですよ 』『君こそスターだ』などの番組で勝ち抜き、たちまち人気芸人となりました。

「オレたちひょうきん族 」では、ビートたけしさんや明石家さんまさんなどと共演し、様々なコーナーで笑いを提供しました。

3人の個性が際立つ面白さ

ヒップアップの特徴は、メンバーの個性が際立っていたことです。

島崎さんは肉体派で、派手なメイクや衣装で目立っていました。

川上さんはツッコミ役として、ボケに対して冷静にツッコミを入れるところがウケを取っていました。

小林さんはボケ役で、天然でおっとりとしたキャラクターでした。

3人の掛け合いはテンポが良く、見ている人をヒップアップワールドに引き込む、実に楽しいものでした。

ヒップアップの解散とその後

1990年代に入ると、ヒップアップは活動の場を減らしていきました。

島崎さんは俳優としての仕事を増やし、川上さんと小林さんは漫才に戻っていきました。

ヒップアップは正式に解散を発表したことはありませんでしたが、1993年に放映された『 オレたちひょうきん族 』の復活特番が事実上の最後の共演となりました。

3人はその後もそれぞれの道で活躍しました。

島崎さんはドラマや映画に出演し、俳優としても評価されました。

川上さんは、小林さんと再び漫才コンビ「川上・小林」を結成し、テレビやライブで活動しました。

小林さんも、川上さんとの漫才のほかに俳優として活動し、「踊る大捜査線」をはじめ数多くのドラマに出演しました。

ヒップアップのメンバーは解散後も仲が良く、交流が続いていました。

2012年に小林さんが肺がんで亡くなった時には、島崎さんはブログで小林さんへの思いを綴っています。

その後、島崎さんと川上さんは、ヒップアップの思い出を語る番組に出演したり、ヒップアップのDVDを発売したりしました。

島崎敏郎の最大のヒット作「アダモちゃん」とは?

アダモちゃんの誕生と特徴

アダモちゃんというキャラクターは、島崎俊郎さんによって生み出され、広く人気を博しました。

このキャラクターは、フジテレビの「オレたちひょうきん族」で生まれたものです。

1985年2月2日の「タケちゃんマン7」という回で島崎さんがマネー島崎という役で出演し、顔を黒く塗り、白いキスマークをつけるメイクを披露しました。

このメイクは、もともと「タケちゃんマン」の敵役のために考えられたもので、島崎さん自身が考案したわけではなく、番組スタッフから提案されたものでした。

その後、島崎さん自身がこのメイクを基に、アフリカの原住民をモチーフにした「アダモステ」という新たなキャラクターを創造しました。

アダモステのギャグは、「ペーイ」と叫びながら暴れるスタイルで、他の出演者やカメラにキスをし、「○○みーっけ!」というフレーズを言うのが笑いのポイントでした。

このギャグは、たけしさんのアドバイスを受けて生まれたそうです。

やがて、このキャラクターはアダモちゃんという愛称で親しまれるようになり、島崎さんの代表作の一つとして知られました。

アダモちゃんの人気の要因は、その目を引くメイクとユーモアにありました。

アダモちゃんは時に歌やダンスも披露し、「ホーッテ、ホッテホッテ、ホッテマカセ~」というフレーズで知られ、流行語にもなりました。

ダンススタイルはシンプルながら、その面白さが際立っていました。

アダモちゃんは笑いだけでなく、時に感動も生み出しました。

1986年の「ひょうきん族のクリスマススペシャル」で、サンタクロースに扮したアダモちゃんが子供たちにプレゼントを配りました。

この場面での、多文化共生のメッセージを伝えるシーンが記憶に残っている人もいるのではないでしょうか。

アダモちゃんは日本のお笑い史に名を残すキャラクターとして評価されています。

島崎さんはその後も様々な番組や舞台でこのキャラクターを演じ続けました。

また、多くの芸人やタレントに影響を与えたとも言えます。

オスマン・サンコンさんはアダモちゃんに触発されて芸人となることを決意したそうです。

アダモちゃんは海外でも知られるようになり、韓国の「Xマン」やアメリカ映画「ボラット」でパロディが登場するなど、国際的な影響も与えました。

オレたちひょうきん族とは? 80年代のバラエティー番組の金字塔

「オレたちひょうきん族」と出演者

「オレたちひょうきん族」は、フジテレビ系列で1981年5月から1989年10月まで、毎週土曜日の夜8時に放送されていたバラエティー番組です。

無謀にも、昭和の怪物番組ともされる「8時だョ!全員集合!」に、裏番組として立ち向かって作られました。

当時の漫才ブームやお笑い界の若手芸人が中心となって構成されており、かつ、着ぐるみやセットなどに、今では考えられないほどの予算をかけた番組でした。

出演者は、ビートたけし、明石家さんま、島田紳助、片岡鶴太郎、山田邦子、西川のりお、おさむ、ウガンダなどのお笑いタレントや、島崎俊郎、川上泰生、小林すすむなどのコントトリオ、渡辺正行、ラサール石井、小宮孝泰などのコント赤信号、松尾伴内、松本竜介などがレギュラーとして出演していました。

また、ゲストとして、稲川淳二、坂田利夫、ウイリー沖山、安岡力也、イエロー・マジック・オーケストラ、オフコース、EPOなども登場していました。

この番組は、1980年代のバラエティー番組の金字塔として多くの視聴者に愛され、高い視聴率を獲得。

最高視聴率は1985年12月28日のスペシャル回で29.1%を記録しました。

この番組はお笑いの道を歩んだ先駆者であり、後輩芸人にとっても伝説的存在です。

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